メモ:作曲もの/ambient

compositions ⊂ improvised music、の話 超散文日記 土曜に市原さんと作曲の必然性の話(それほんとに曲である必要あるのか)をして、月曜にショーンさん作曲の即興演奏をして、その帰りに若菜さんと作曲もの/非作曲ものでのモチベーションの違いの話をした(聞いた) その前7月には大藏さんと「(このデュオは)作曲ものよりそうでないほうが面白いと思う」の話をした 火曜、お風呂に浸かっていて思ったこと 8.30.2022 時点 これまで (【大意:作曲ものを前向きにやれない】) 正直なところ作曲ものは演奏時、作曲による制約の分を自分がリアルタイムで考えられないのがすこし面白くないと薄々(→濃々)思っていた 楽譜のようなものは即興音楽以外の領域でやればいいのでは/指定がかなり少ないものは作曲ものである必要あるのか(いずれも自分の過去の作曲含め)「音を出さない」の指示ひとつをとっても、指定の時間が経つのを待つより今音出さないほうがいい/出す必要ないをその場で選択したほうが自分の中で鳴る感じがする(これについては「意識的な判断の介在による付加価値発生しうるのか、否(気にしつつ分解していきたい)」みたいな 自分の仮説 に反するので要)(「」も、意識 ⇄ 直感 ⇄ 脳による最適化とか言葉選びが正確でない)とか、自分が好まないアプローチ?意識/無意識いずれにせよ自分ではやらない選択するものを敢えて自分がやる必要性、とか 「自分の仮説」 → 仮説、がある 即興、自分はリアルタイムの仮説組み立てとそのリリース(手放すの意)ってよく思っている ジャズであれ即興であれ、各々が各々の何かしらの仮説を常に持っていて、ひとつひとつの演奏はその仮説の検証、にあたるんじゃないか(生きるにあたって私たちはそれぞれ何を信じどう生きるのか、に近いと思う 言葉にしていてもしていなくても あと人の信じるもの、無闇に否定しちゃいけないと思う… )(仮説があるから演奏、いつも新鮮で面白いんだと思う[ここにかみむらさんの背中をおもう][古和さんも]) で、その仮説的なものを仮に長期のもの(ジャズだと「一生かけたら私は私のことばを見つけられないだろうか」とか?)と短期のもの(「この曲のこの部分この進行あてられるかも」とか、、は別に短期じゃなくても良くて、短期というかフォーカス)、長期と短期ではなくて、...